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夜の椿

自分の背丈より低いのだから150cmほどか。 コンパクトな椿の木がこんな小ささにもかかわらずどうしてこんなにと何百とつけた蕾を一挙に開かせて来ている。 10年以上前に家人が友人のうちの古い椿の木から株分けしてもらったチョロッと一本細いものを植えたのがやっとこうなった。 これが見上げるようになりそのうち自分が子どもの頃村の丘の上でよくよじ登って遊んでいたほどになるには少なく見積もってあと50年はかかるだろう。 けれど隣家とのスペースやこの地区のことを想うととてもこの木がここで生き残れるとは思われない。 それなら初めから塀のそばに植えずに庭の中ほどに植えて置けばよかったのだが何事にも行き当たりばったりなのだ。 今年は開花が遅いと言いながらも第一号をここに載せたのは3月20日でそれからもう2週間ほど経ってこうなっている。 

日差しの暖かい午後にテンコ盛りに咲いた椿を見ると今あたりに一杯咲いている桜や木蓮などに対抗するようで、このサイズでは少々肩身の狭い思いがするのは否めない。 だから写真を撮るには椿はやはり夜のものだと勝手に決めて暗い中に仄かに佇むまるでヤケクソのクリスマスツリーかとも見える葎にカメラを向ける。 綺麗なものを撮るのには潤沢な光が要るし、またその光を矯めて撮り、光さえあればなんとかなる。 殆どない光の中で微妙な色を出すにはそれなりのカメラ・機材と技術が要るのも充分承知している。 それに加えて辛抱が要る。 今の自分にはどれもない。 

闇の中に微けく大量に固まって集う椿の赤は薔薇の赤とは違いその違いを眼が判別するように簡易カメラでは撮ることはできないだろうがこの好ましい椿の集団をただ目の中に留め置いて小箱に収めてデジタル化された像をモニターで眺めて嘆息する。 ここでは闇の中に密かに潜んでいた赤が急に主張していて、どこから来たのか光に反射する葉の表面まで喧しく、ありもしなかった光が散らばった中途半端で全くここにしかない別の椿の写真となっている。 これを眺め、森山大道ならこれをもっと強調、モノクロにして見せていたのにと思いながらも今の自分にはそれほどの強さもなく、元々はその微けさに惹かれたのに、やれやれと呟きながらこれを今日の写真としてここに載せることになる。