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ドント・ストップ・ミー・ナウ

癖が凄い!!という事に対する考察である

無くて七癖なんて物言いもあるが・・・

癖というのは習慣性から身につくものである。

ある種の継続性が前提であり、結果、浮かび上がった「個性」のようなものである。

言い換えればチャーム・ポイントのようなものだ

よく言えばの話だが・・・

物事には普遍性と普及性というものがある。

先日の某氏の発言から「東北でよかった」の一連のツイートはどちらかというと、その「普及性」というか・・・水平方向の共時性をもった共感だった。

確かに東北の綺麗な風景がバーッとネットで広がったのは誇らしくもあったが・・・

水平方向に広がる水面の波紋のように消えて行ってしまった・・・

それは癖があったのか?ないのか?

その現象の癖の本質とは大臣の「失言」では・・・

癖とは一種のあたりさわりではないのか?そんなことも考えた。

癖とはある種の継続性の中の違和感であると考える。

福島ではかつて週末にデモがあった。

僕は週末にはデモに参加し、ある特定の人達にフォーカスして写真を撮り続けていた。

しかし、そのデモは2年ほどで終息した。

ところが、例えば原発の問題が収束したわけではない。

何となくそれを伝えていきたいなあ・・・なんて考えたりもするのだが・・・それを水平方向に伝えるときにかかるバイアスが怖い。

いわば「風評被害」と同じ危険性を孕んでいるからだ。

話はがらりと変わるが・・・

クイーンというバンドがいる・・・

ハードロックともプログレッシブバンドとも言われ・・・レッド・ツエッペリンの後継者ともイエスの後継者とも言われたが・・・オペラやボードビルみたいに癖の強い音楽性を取り込みながら・・・

果てはロカビリーやファンクと・・・・

その変化の中でもやっぱり「癖」の強いフレディのヴォーカルは残っているし、ブライアンの個性的なギターは残っている・・・

「癖が凄い!!」というのはいったいどういう事なんだろう?

震災の年に青森の浅虫の夕焼けに魅せられた・・・

それは被災地の海が壊滅的だったという事を差っ引いたとしても・・・感動的であった。

青森の「癖」に魅せられて以来、機会があるごとに青森の「癖」を撮り続けている・・・

それは青森に限った事ではない。

被災地も同じだ・・・

写真を撮り続ける・・・それが僕の「癖が凄い!!」ところかもしれない。