未来を見通すために今を見つめるというわけでもない。

誰しも怖いと思うことがある。

怖いというのは、今よりも少し先のことを想定した時の感情の働きだとも言われる。

怖いもの知らず、というのは、後先を考えずに今だけに集中してる人のことだろう。

ある場面では怖いもの知らずでやっていても、別の場面では怖くて身体が固まってしまうということもある。

僕らは少しでも先の未来のことを想定して、そこに備えた準備をしようとする。

怖いと言う時には、その先の未来が全く想像もつかず、分からないか、あるいは酷いことになる未来が想像できることで湧き上がってくる。

だが、全てを見通せることはできない。

僕たちはより良く生きたいと思っている。

より良くというのは今よりもという比較するポイントがある。

自殺未遂を起こすようなことですらも、より良くという感情が働いている。

辛い今よりも、という思いがあまりに強いから、より良く生きるの生きるの部分が抜け落ちるのかもしれない。

理屈で言えば、今だけを感じていれば、怖いと言う感情は起きないということになる。

頭では理解していたとしても、今という時点にフォーカスを当てるということがなかなか出来ない。

日の生活を送る上では、少し先のことを見ることはどうしても不可欠な面がある。

そこを見通せる長さや広さがある人が賢いともされる。

賢いがゆえに怖がりだとも言えるかもしれない。

怖いから現状のデータを集め、分析して未来予想図をより確かなものにしようとする。

それも怖さに対する一つの克服方法かもしれないが、時にはそれがとてつもなく膨大で、とてつもなく労力を要することにもなる。

今を直視するのは、未来を少しでも確実に予想するためのものではなく、ただ今にフォーカスするということもある。

今を見つめること、それ以上でもそれ以下でもない。

僕らが自分の今ここを見つめるという時に、ついつい将来のためにとしてしまいがちだ。

そこで取り違いや取り損ね、といったことが生じるのかもしれない。

自分を見つめるという時に、目的とか、そのための手段とかではなさそうだ。

読んでいただき、ありがとうございます。お話ししてみませんか。こちらまで。

もやもや度チェックしています。

もやもやな想いをはっきりさせるメール講座はこちら。